石川誠医師(リハビリ医)の経歴や大学をリサーチ!長嶋茂雄の主治医だった!

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命を全うするまでピンピンでいたいと思うのは誰もが願うことではないでしょうか!そんな夢を叶えてくれる人物が日本にいらっしゃるのです。その方はリハビリテーション界のパイオニア石川誠医師です。

患者ファーストで行われるリハビリ療法では奇跡的な回復を見せる患者が続出し今、高齢化社会を生き抜くカギを石川誠医師が握っているのです。

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石川誠医師(リハビリ医)について

現在、日本のリハビリ医療の充実に尽力されています医療法人社団輝生会の理事長、石川誠医師!リハビリ医に携わる前は、学生時代に読んだ一冊の本の影響で脳外科医に進みました。それは、脳腫瘍の子供の日記だったそうです。その本との出会いから数年後、それは現実となり、脳神経外科医師としてメスを取り、仕事に熱意を持って取り組んでこられていました。

しかし、長年脳神経外科として携わっていく中で、石川誠先生に疑問が沸いてきたのでした。それは、手術をして一命は取り止めることができても、障害が残ってしまいあまり良くならないというのが現状でした。石川誠先生が脳神経外科医として働かれていた時代は、脳神経外科的処置が終わったら患者さんとははいさようならといった風潮があったそうです。

ちょっと衝撃的な告白ですが!!

整形外科であれば、骨折の後はちゃんとリハビリをやるのに、何故脳神経外科医は、手術をした後は、関係ないよという態度を取るのか?そこに石川誠先生は疑念を抱かれたのでした。そのことがきっかけで後に、1970年代にリハビリ医に進む最初のきっかけになったわけです。

もう一つ、リハビリへの道へ先生をかりたてたものは、約30年前、脳神経外科医の時に働き盛りの40代の男性の手術を担当した時に、その男性は手術を受ける前までは、自力で歩いて病院へ来られたですが、自分が手術をした後、寝たきり状態になってしまったことをきっかけとしてリハビリ治療を追及するようになったと告げていらしゃいます。

このような重大なミス、本人にとっては神経外科医としては隠したい事例だろうと思うのですが自分の足かせとなっていることを敢えて公表しています。そこに先生のリハビリへの進む熱い決意といったものが伺えます!

石川誠医師の詳しい内容については後に書くとして経歴をご紹介したいと思います

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経歴や大学をリサーチ!

名前:石川 誠(いしかわ まこと)

生年月日:1946年

出身地:埼玉県

職業:リハビリ医師

医療法人輝生輝生会理事長、回復期回復期リハビリテーション病棟協会常任理事、日本リハビリテーション病院、施設協会顧問、日本訪問リハビリテーション医学会専門医・理事

1973年:群馬大学医学部卒業、群馬大学医学部脳神経外科研修医

1975年:佐久総合病院脳神経外科医員

1989年:近森リハビリテーション病院院長(高知市)

2000年:医療法人新誠会理事長

2004年:医療法人社団輝生会理事長~

石川誠医師にとってのリハビリテーション医療とは

自分が抱える病気が治らなくても、障害を持っていても人が人らしく一生を終えるためには、どうしたらよいか?それを支援するのがリハビリテーション医療だとおっしゃっています。生活は時代と共に変わりリハビリテーションの対象も変わっていっています。

がんや認知症も加わりこれからは、精神障害もリハビリの対象になってくると言われています。でもどんな対象疾患が出てきてもリハビリテーション医学の根幹をなす理念に基づいて人間が人間らしく一生を終えるためにはどうしたらよいかを追い求めていくと言われています。

リハビリテーションの大きな特徴は、患者本人が本腰を入れてリハビリをやらないと回復、改善は見込めないということなのです。

そこで石川誠医師が取り組んだ事は、スタッフが患者に対して支援する気持ちを伝え一緒にやることによって患者の気持ちの変化が表れてくると言います。

そのことを実践するために船橋市立リハビリテーション病院を設立されました。医師、看護師、作業療法士、ソーシャルワーカーなど全て職種のスタッフがワンフロワーで業務をを行っていてそこには、業種の壁を取り除く狙いがあるようです。院内には白衣姿も「先生」もいない皆全員「さん」付けで呼び合っています。

スタッフが団結するためには、リーダーが必要です。そのリーダーがリハビリテーション医なのです。リハビリのプログラムを作成し、スタッフと相談しながらチームのコントロールとメンテナンス、マネージメントをしていきます。リハビリテーション医はスタッフが「この医者と働きたい」と思わせる存在でいなければならないと言っています。

「自分が治している」のではなく「スタッフと共に回復する支援をしている」という感覚で業務にあたっているので他科の医師がやっていることとは随分違いがあると言われています。

このような考えは、石川誠医師が、高校、大学とラグビーをやっていた時に培われたものなのです。

役割分担、協力する「チーム」としてリハビリテーションの組織が成り立っているようです。医学の世界もどんな優秀な医師がそこにいても、周りのスタッフの良好な支援、援助が存在しなければ、助かる患者も助からないということですね!チームワーク、フットワークの良さがカギを握っているようです。

医療とスポーツがこのようなところで結びつきをもつことがとても、新しい感覚に感じられて共感できます。

奇人変人扱い

石川誠医師は、脳神経外科医からリハビリ医に転身したわけですから仲間から「リハビリなんかでは生活はできない!あんなもの医者がやるべき仕事ではない」と言われたそうです。また、「リハビリを充実させると経営難になってしまう」とも言われてきたようです。でもその反面看護師はとても患者の事を考える医者が来たと歓迎してくれたと話しています。

そんな非難を浴びていた中でも自分を信じ前へ進んで行くと、少しずつ結果が出始めてきました。すると徐々に周りの反応が変わっていきました。その時に、近森リハビリテーション病院(高知市)を開設したのでした。

その頃、日本のリハビリテーション医療は未熟で危機的な状況だったようでそのことをデータを示して国に説明をし、リハビリテーションの診療報酬の向上を訴えてきたのでした。その努力が実って現在では、診療報酬が以前と比べものにならないくらいアップしています。

だから今、医療機関は診療報酬が高くなったのでリハビリをどんどん導入しているんですね!患者としては、寝たきりにならないで済むのでとても良いことだと思います。

長嶋茂雄の主治医だった!

2004年脳梗塞で倒れられた長嶋茂雄さんが、石川誠医師の処へ転院してこられました。当初アテネ五輪の日本代表監督ということもあり関心が高く「失敗は許されない」と緊張したことを思い出すと語っていらっしゃいます。

その当時、リハビリテーション病院を都庁舎を見上げる都心に建て、173床にスタッフ340人を配置し、最先端の機器や薬より人手をかけた方が効果があるといった方針が長嶋茂雄さんの目に留まり入院に繋がったのです。家族の記者会見でも、「想像をはるかに超えた回復」と絶賛されていました。

石川誠医師が語った言葉に「リハビリする時は「病人」感覚ではだめです。ガンガンやることが大事です。長嶋さんも「リハビリは嘘をつかないと話していますが。それが「戦うリハビリ」なのです

寝たきり老人にならないようにリハビリがいかに大切かが分かりました。日ごろから運動をする、体を動かすことを意識して生活をしていきたいものです!

医療法人社団 輝生会

東京都渋谷区本町3丁目53-3

電話番号 03-5816-8051

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